時は遡り、2014年の話になりますが、当時私は中学3年生でした。
ソフトテニス部を辞め、オリエンテーリング部に入り、どんなもんだと吟味するところです。

ちなみにソフトテニス部を辞めたのは、中学2年生の冬休みに開催された大きな大会を顧問の勘違いで、出られないもんだと認識していたところ、実は全員参加できる大会であったことが発覚し、それでも帰省していた私は参加できず、団体戦1チームが組めなくなり、とんでもなく嫌がらせを受け、さらにコーチに名簿から名前を消され、いくあてもなくなったのが原因で、自主的に辞めたわけではなく、正しくは辞めさせられたと言えるでしょう。

そんな話はウマウマと聞いていて欲しいのですが、今日は第13回東京OLベテランズ大会のASクラスを走った話をします。

で、結果はペナだったのですが、初めてのフォレストオリエンテーリングでペナ1、さらに言えば1位レッグ、2位レッグ、3位レッグがそれぞれ2つもあったので褒めて欲しいくらいです。
参加者は7人だけでしたが、高2の時に出た全日本ミドルのM18Aは2人しかいなかったので、それよりはマシです。

ペナったところは9番コントロールで、これが確か広い尾根上にある人工特徴物だったと記憶しているのですが、登ったり降りたりしても、一向に見つからないので諦めて10番コントロールへと向かったのです。

あの時の心境はいまでも覚えていて、周りに誰もいないという寂しさと、目印を見つけられない焦燥感が一気に襲ってきて、どれだけ地図とにらめっこしても、どれだけ周りをウロチョロしようとあるのは何回も横切った道や見たことのある分岐だけ。
ふと頭には遭難の2文字もよぎり、そんな大げさに現ロスしていたわけでもないのに、なぜかギュッと不安な気持ちに駆られるわけです。

そりゃそうだと思います。今までは整備された施設があって、周りに人もいて、なんなら個人でプレイする時でさえも人はいたのですから、3.4kmのコースで周りは爆速で走ってるし、自分だけすごく遅くて、迷って、みんなは分かってるんだろうなぁなんて考えながら、1人、ミスにミスを重ねている時間なんて想像もしないのです。

山も山で、私の通っていた学校では遠足で山を6時間ほど歩かされるのですが、それでも前の人に付いていけばゴールできたし、自分で考えて行動するなんて、ただでさえ難しいことは自明とも言えるでしょう。
いくら自主性を尊重する学校であっても、自ら行動する機会なんて、それもリスクの多い山では専ら無いと断言できるわけです。

そんなもので、ゴールしたらしたで会場までバスでゆらゆら運ばれるわけですが、テレインの中を2時間もほっつき歩いていたので友人などはとうに帰還しており、知っている先輩さえいないわけであります。周りは知らない人ばかりで、それでも人がいるということに安心すら覚えたわけです。

会場に帰還すれば当時の部長が「どうでしたか」なんて尋ねてくるもので、「1つ飛ばしました」「ここでこう行っちゃって」「全然分からなくて」とアナリシスを簡易化して、バラバラに解体したようなたどたどしい日本語で話すのですが、正直「どうでしたか」と聞かれれば、「やりたくない」の一心なわけです。

だっていきなり山にぶん投げられて遭難しかけるような経験をしたのに、これがどうして「またやりたい」に繋がるのでしょうか。普通は「もういい」という感情になるはずです。
そうやって、もう7年目になりますが、今では感覚のままにプレイしている自分がいます。

どうやって会場に行ったか、どうやって家に帰ったかなんて覚えていないのですが、現に今も記憶しているようにレース中のことは鮮明に覚えています。
記憶とは本当に不思議なもので、だから、こんなに辞めたかったオリエンテーリングを続けてしまったのかもしれません。


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